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何かになりたかった何かの、ひとりごと
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自傷でないことを祈りながら

防衛機制で埋めていたものがあったとして

埋めていたものが白骨化していれば衛生上は問題なくなっているのだろう
が
腐乱した状態で出てきたらたまったものではない
し
今も生きていたりした日には目も当てられない
ので
ここで向き合うことが正解かどうかは分からない
けれども
いつまでも埋めておけるとも考えられない
そして
義理を通すのであれば今日がリミットであろう
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[ゆえに]
A Change is Gonna Come

書いて見たら馬鹿馬鹿しく感じられてきたわね。
いい兆候でしてよ。
そでない為方

今になってあれがそうだったと思う
やってきたトラウマの再現はたくさんあるけれど

そこで「それはトラウマの再現であり、あなたは今とても傷ついているのですよ」と突きつけることが救いになると考えるのは難しいことだわ。
その瞬間を耐えるために、目を逸らすしかなかったと思うもの。
生きるためのそれを"間違って"いると言われたらきっと生活を辞めるしかなった。
姉弟のように育った親族からの行為に対するに。
人として大好きだった彼を嫌うのはとても悲しく、あの子あたしが好きで触りたかったのねと性的願望を向けられて喜ぶ思考回路を持つことが私の救いだった。
だってそれは、思い出した教師まで遡って好きになれそうなくらい、強力に甘美な陶酔だ!
今も性倫理の破綻したクソビッチの自覚はある。それを恥じることが今も怖い。救いを手放せない。


隠れて肌を擦り合わせて、それが幸せであると本気で思った。
気持ち悪くなかったと本気で思った。
いわゆる性恐怖症を抱えるパターンも多かろうが、自分は向けられるセクシャルな要求をすべて愛情に曲解し耐えようとした。
愛されているからなら嬉しいはずだから。
痴漢され嬉しい者もいる、などの反吐の出る主張を裏付けるようでごめんね。嫌なみんなごめんね。わたしも嫌悪したかった。


喜ぶ以外に見つけられなかったんだ。
25歳で終わるつもりの人生で、でも25歳までは続けるつもりだった。まだ10年あった。
生き延びようと考えたとき、その方向に転がされ続けるしかないように見えたんだ。
助けてくれと母親に縋って成されなかった、それだって些末になる。
期待するのをやめようと誓って、それでもやっぱり彼女に保護者であってほしいと願ってしまったことにも、絶望したくなかった。お母さんが守ってくれるかもしれない、なんて縋ってしまった浅薄をちゃんと笑い飛ばしたかった。


たくさん嘘をついた。
法が守ってくれないのに、法を守っても割に合わないと感じていた。
(今でも感情は壊れたまんまであるけれど、遵法意識についてはある程度矯正されたわ! わたしと関係のあるみんなたちは、たぶん安心していいよ!)



こうやって、しっかり慙愧をもって振り返れるようになったのだって、ここ最近の話である。
掘り起こせば生活が止まる自信があった。
今でも止まりそうだから、この話をするのは明るい部屋か屋外にしよう。
何年か前に深夜の布団の中で反芻して、それはそれは酷いことになった。大爆笑だわ。




「芸術はクソだよクズを救うから」
って、詠んだ。

人間ってきれいであれるんだ、と感動して
ああそっか、ぼく汚いな、と承知して
でもきれいなひとがいる場所で、もうちょっとでいいから、続きたいかもと焦がれた。
自分が醜悪だってよく理解した上で、でも、そのきれいなひとがいるところを、大事にしたいと願ってしまった。

もうおしまいでいいね、って用意した銅線を手放せたのは
きっと芸術の力ってことになるんだろうね。
信じていいかな、と迷う間もなく信じちゃったわ。


『西遊記花街酔醒』を観て生きて、『sundust』を読んで永らえた。
また好きになるかもと劇場を想像するときは苦しくなかった。
サイトのカエルを増やさないために我慢するのは辛くなかった。
それらは今まで寝ても食べても喋っても笑っても、しんどかったんだって認めることだわ。
苦しいこと辛いことを認めることだわ。
暗い靄のように形のなかったそれが、実体を得たような感覚。
だから避けられるようになったの。そいつを吸い込まないで呼吸できるようになったの。



それまでは無理だったんだ。
不定形のそれから逃げおおせたのは、常軌を逸していた日々があったからでしかない。
あのときに、あのままに、「あなたは今とても傷ついているのですよ」と理解させられたら、水色の袋が実戦投入されてたわ。
ドライヤーを分解して被膜を丁寧に剥いたんだ。グリセリンとサージカルテープと十円玉とタイマーが、袋の中でぶつかる音は今でも思い出す。ちゃんと選択肢に含めず思い出せるだけで、全然霞んでないよ。
電気が止まっていた日を選ばれたって、手首を切るのが布団の上から浴槽の中になっただけだわ。




いや正月早々なんてヘヴィな話をしているんだわたしは。
やめやめ!
ジェラジェラジェラジェラ……ってオノマトペ、あるんだね

公演情報で感情が大渋滞してめちゃめちゃになっていた
ら
かわいいひとが
「僕にしかしない顔をしている!?」と驚いていた。
珍妙なダンスで気を惹こうとしてきた。

夫から嫉妬されたの(、おそらくわたしが気付けていないだけで今までもあったのだろうけれど)、
明確に表明されたのは初めてじゃないかしら。

既にぐちゃぼろになっている感情にトドメを刺さないでくれ 好きだ


リフレクビートに嫉妬していることはないだろうし
生春巻きに嫉妬していることはないだろうし
ハッピーハードコアに嫉妬していることはないだろうし
松尾芭蕉に嫉妬していることはないだろうし
屍句会、りぼん句会に嫉妬していることはないだろうし
なんでこればっかりなのだろうか。

それらも愛なんだけどな。
それらも彼と出会う前から愛しているものなんだけどな。

どうしてかしらん。恋愛に見えた?
わたしどんな顔してたんだろ。
彼が自分にしか見せないと思っていた顔、を、していたらしいが。
そもそも夫にしか見せない表情なんて、持ってるつもりなかったわ。


笑いすぎて腹筋が痛い。泣きすぎて頭が痛い。
幸せな素人が詩なんか書けるわけないだろ

絶えてるよとっくに
擱いたんじゃないって何度言わせるの ウケんね!
詩人ではないから、詩なんて不幸せなときしか書けないわ。
そんで全然ハッピーなんだよ今
わたしの、ほとんどすべての創作は作品ではなく
作業療法の産物であると思っているわ。
好きなひとのために作ったいくつかだけ、ひょっとしたら手遊びでないものが存在するかもしれないけれども、大多数は排泄じみている。

プロの芸術家(そんなものがあるとして)ってのはさ
病んでなくても続けられるか
上手に病み続けられるか
どっちかでしか在り得ないと考えているわ。

そいで、我が創作はそうやってうまれたものではない。
わたしはプロじゃない。プロであるわけがない。

さてどうしましょう。
無事です

少なくとも2024年1月4日は生きていました。
大丈夫だよ。
通電した肉が美味しくなるってほんとかな

たぶん8年位前に
「タイマースイッチと、グリセリンと、10円玉を見ている。」
みたいなことを書いた。

ティーンのころから、終わるんだったら感電がいいなと考えていた。
それで、思い立ったらできるように、それらを用意した引き出しを作った。
コードの端はきちんとほぐして(被膜を剥くのが楽しかった。楽しさ余って少し余分に剥いてしまった)、十円玉をくっつけて。
サージカルテープとグリセリンも同じ袋に入れていた。

何度目かの引っ越しの時に、捨てた。
定かではないけれど、20代の半ばくらい?

別に企図しなくなって捨てたわけではない。
使いそうになって捨てたわけでもない。

曖昧に計画したまま、なんとなくで捨てた。
強いて言えば、買い戻せる財力が手に入ったので、捨てた。
全然断ち切ってない。


あの頃だって幸福だったし、今も幸福だ。


…………って思ってたけど
なんかちょっと違和感あるね。

そのときは救われた自覚なんてなくって、ただなんとなく、無意識のつもりで「捨ててもいいや」って思ってた。
そんなわけないや。
買い戻そうと思わないもの。
捨てるまでの数年、わたし、あの水色の袋を開かなかったわ。



まあでも。


今後何かあったとして、それはぼくが苦悩していたからだとか、逆に満足したからだとか
そういうことは見当違いだと思うよ、
と、そのときぼくは話せないわけだけれども。
EMOTIOn

好きでいる男の子が家族になりたいと言ってくれた
し
そうありたいなと思ったので
そうすることになりました。

ひとつ前に、いわゆる恋人同士というやつであった女の子が挙式してからしばらく経っている
そのときに「いいなぁ」と思ったソレに近いものが自分の身にやってくるということに驚いたりしつつ
やっぱり「いいなぁ」と思っている


実は(実はでも何でもないか)ぼくは四半世紀くらい、己を「ぼく」と思考しているのだけれど
たとえばそんなことを気にしない風でいるひとだ
または気にしていたとして、それを僕に悟らせないひと

ぼくのことを予測するときに期待を上乗せしない(または上乗せしていることを悟らせない)ひと
これから起こる事柄に対して、まだこちらに届かない未来に対して現実的な根拠など存在しないのに
あらゆる方法で知覚しようとする不思議なひと
それで不安になったりするのに、不安にならないことも恐れるような可愛いひと
そしてどうしたって悲観できないぼくを、それでも軽んじないひと

好奇心の奴隷をそばに置いて、きっと心休まらないだろうに

ただ分かんないよと手放してくれるし
同時に分かりたいと願ってくれる

何より幸福だと思うのは 彼がぼくに理解されることを喜んでくれているようだということ


命の遊び方が全然似ていない二人なのだけれど
ぼくがあの子にとって楽しみ甲斐のある伴走者であると素敵だなあと思う


[それはそれとして]
情動のアンコントロール

いつだったかこのブログが読まれたとき、パスワードもかけずに書いているのだからそりゃもちろん誰かが来ることもあるのだろうけれど、驚いた。

ひとりごとだから読んでいて面白いものではなかろうに、と思うものの、嫌ではない。
生活において、このテの「びっくりしただけで、全然ヤじゃないんだよ」を伝える難しさを克服できずにいる。
「あなたの行為に困っただけで、あなたの人品を嫌うわけではないのだよ」「あなたの作品を愛していて、馴れ合ってお世辞を言うのではないのだよ」「あなた自身を好きになっていて、あなたの能力のみを買うのとは違うのだよ」
どれも苦手だなあ。
ケンのある口調、空気を読めない行動、迂遠な物言い、礼を欠く振る舞い、エトセトラ、エトセトラ……





いや、ね。
大好きな俳優宛てにお誕生日おめでとうございますって打ち込むだけの行為に何度夋巡しているのと 我ながらおかしくなってしまって。
なんにも関係ない文でも書こうかしらと逃避した次第。
嘘ならいいのに

わたしの好意を受けて嬉しいと言ったひとびと、みんな嘘つきならよかったのに。

大好きでいることがやめられなくて、でも喜んでくれたら幸せだなんて思いたくないのに。ただひたすら好きなだけなのに。
見てほしいわけでも返してほしいわけでもないと嘯きながら気付かれて笑ってしまうわたしの浅ましさ。
大好きなだけでいいのに。わたしが好いていることが全部なのに。

受け取ってほしいなんて僅かでも考えた己が恥ずかしくて申し訳なくて悲しくて腹立たしくて、世界なんてなくなっちゃえばいいのに。
黙ればいいのに。

愛するひとが十分に眠れているならそれがすべての素晴らしい事実なのに。

お願い事を口にしていいなら、自分が好いたひとびとの健やかなる日々を祈りたいっていう、そういうことなんだ。
もし口にしていいならって但し書きしたのだから、怒らないで頂戴。
プロフィール

HN:
らうる
性別:
非公開
自己紹介:
好きなものを好きだと言うことが、ときどきひどくおそろしい。
夜、キャラバンカルーセルからマーメイドラグーンを望むために生まれてきたのかもしれない。

ねじがたりない
言語121 動作82 全体106 

せんせいになりたかった

たいおんがほしい

はせをにこいしてる