今になってあれがそうだったと思う
やってきたトラウマの再現はたくさんあるけれど
そこで「それはトラウマの再現であり、あなたは今とても傷ついているのですよ」と突きつけることが救いになると考えるのは難しいことだわ。
その瞬間を耐えるために、目を逸らすしかなかったと思うもの。
生きるためのそれを"間違って"いると言われたらきっと生活を辞めるしかなった。
姉弟のように育った親族からの行為に対するに。
人として大好きだった彼を嫌うのはとても悲しく、あの子あたしが好きで触りたかったのねと性的願望を向けられて喜ぶ思考回路を持つことが私の救いだった。
だってそれは、思い出した教師まで遡って好きになれそうなくらい、強力に甘美な陶酔だ!
今も性倫理の破綻したクソビッチの自覚はある。それを恥じることが今も怖い。救いを手放せない。
隠れて肌を擦り合わせて、それが幸せであると本気で思った。
気持ち悪くなかったと本気で思った。
いわゆる性恐怖症を抱えるパターンも多かろうが、自分は向けられるセクシャルな要求をすべて愛情に曲解し耐えようとした。
愛されているからなら嬉しいはずだから。
痴漢され嬉しい者もいる、などの反吐の出る主張を裏付けるようでごめんね。嫌なみんなごめんね。わたしも嫌悪したかった。
喜ぶ以外に見つけられなかったんだ。
25歳で終わるつもりの人生で、でも25歳までは続けるつもりだった。まだ10年あった。
生き延びようと考えたとき、その方向に転がされ続けるしかないように見えたんだ。
助けてくれと母親に縋って成されなかった、それだって些末になる。
期待するのをやめようと誓って、それでもやっぱり彼女に保護者であってほしいと願ってしまったことにも、絶望したくなかった。お母さんが守ってくれるかもしれない、なんて縋ってしまった浅薄をちゃんと笑い飛ばしたかった。
たくさん嘘をついた。
法が守ってくれないのに、法を守っても割に合わないと感じていた。
(今でも感情は壊れたまんまであるけれど、遵法意識についてはある程度矯正されたわ! わたしと関係のあるみんなたちは、たぶん安心していいよ!)
こうやって、しっかり慙愧をもって振り返れるようになったのだって、ここ最近の話である。
掘り起こせば生活が止まる自信があった。
今でも止まりそうだから、この話をするのは明るい部屋か屋外にしよう。
何年か前に深夜の布団の中で反芻して、それはそれは酷いことになった。大爆笑だわ。
「芸術はクソだよクズを救うから」
って、詠んだ。
人間ってきれいであれるんだ、と感動して
ああそっか、ぼく汚いな、と承知して
でもきれいなひとがいる場所で、もうちょっとでいいから、続きたいかもと焦がれた。
自分が醜悪だってよく理解した上で、でも、そのきれいなひとがいるところを、大事にしたいと願ってしまった。
もうおしまいでいいね、って用意した銅線を手放せたのは
きっと芸術の力ってことになるんだろうね。
信じていいかな、と迷う間もなく信じちゃったわ。
『西遊記花街酔醒』を観て生きて、『sundust』を読んで永らえた。
また好きになるかもと劇場を想像するときは苦しくなかった。
サイトのカエルを増やさないために我慢するのは辛くなかった。
それらは今まで寝ても食べても喋っても笑っても、しんどかったんだって認めることだわ。
苦しいこと辛いことを認めることだわ。
暗い靄のように形のなかったそれが、実体を得たような感覚。
だから避けられるようになったの。そいつを吸い込まないで呼吸できるようになったの。
それまでは無理だったんだ。
不定形のそれから逃げおおせたのは、常軌を逸していた日々があったからでしかない。
あのときに、あのままに、「あなたは今とても傷ついているのですよ」と理解させられたら、水色の袋が実戦投入されてたわ。
ドライヤーを分解して被膜を丁寧に剥いたんだ。グリセリンとサージカルテープと十円玉とタイマーが、袋の中でぶつかる音は今でも思い出す。ちゃんと選択肢に含めず思い出せるだけで、全然霞んでないよ。
電気が止まっていた日を選ばれたって、手首を切るのが布団の上から浴槽の中になっただけだわ。
いや正月早々なんてヘヴィな話をしているんだわたしは。
やめやめ!