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何かになりたかった何かの、ひとりごと
心にウチもソトもなくない?

慰めという行為は、その慈愛は、尊いなと思う。
ただ、えーと、その方向で!?みたいな困惑を誘われることも多いわ。

「死んだあとも心の中に生きている」みたいなやつ。
個人的にはどうなのって思うんだ。
忌避感というか……嫌悪感、っていったらちょっと強すぎるかしらん。
でもなんかこう、気持ち悪いなぁって、ええとこれ大丈夫?
言い換えれば言い換えるだけ蟻地獄な気がしてきたぞ。

とにかく
遺った方が、妄想に縋って騙し騙し今を浪費するのは、あんまりに惨めったらしい。
と感じられてならない。
そんなことを奨励するんじゃないわよ、という戸惑い。
たまたま自分に向けられていないのでこまってしまうだけで済んでいるけれど
面と向かって言われたら憤りにもなりそう。

望みから生成する「そのひとっぽい言葉」はどうせ都合がいいものになる。
そんなグロテスクな蹂躙はしたくない、されたくない。
尊厳を守りたい。大事なところでしょう。
持っているだけの素材で生成した化物を「そのひと(※ヒトに限らないけれど、例としてこう書く)」だとするのは内在化じゃないわ。

もしも彼ら彼女らが「生きて」この心にあるなら、それわたしに新しく何かをもたらすはずだ。
でもそんなわけないでしょ。
新鮮に感じられたとして、それはどうせ思い出しただけでしてよ。



わたしが誰かの心の中に遺ったと感じたひとがいたとする。
でもその「わたしのようなもの」があなたに何かしてあげられることは
「わたし」があなたに何かしてあげられることとは違うもの。

みんなたちはみんなたち自身で元気になれる。
そこにいるとされるわたしが、それはきっと楽しそうであるに決まっている、そう確信しているけれど、そのわたしじみた何かが幸福なのは、みんなたちがハッピーだからだと思っていいよ。



なるたけ大切に覚えて
それから軽やかに忘れてしまいたい。

できるかどうか自信はないけれども、我が理想としてね。
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らうる
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好きなものを好きだと言うことが、ときどきひどくおそろしい。
夜、キャラバンカルーセルからマーメイドラグーンを望むために生まれてきたのかもしれない。

ねじがたりない
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