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何かになりたかった何かの、ひとりごと
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無題


知っている言葉が多いことを語彙力があると言う向きに納得できません。

きみの伝えたい内容が分かるよ、と正しく思われてはじめて語彙力と認められるべきなのではなかろうかと考えるから。

なぜか嫌みたらしい皮肉屋だと誤解されてばかりだ。
賞賛や憧憬、感謝を当てこすりに思われることが多々あるわたしは語彙力に乏しいと言えるはずだ。
好きなものを好きだということへの躊躇いは、自己評価の低さに起因する「このクズが好きなんだからそれもカスなんだろ」を恐れるだけでなく「ひどく慇懃無礼に批難されているな」と取られたら辛いからでもある。

父母の友人を友人として育ったわたしの言葉選びは同年代には古臭かったのか、難しいこと喋ってて分かんない!と言われたことは一度や二度ではない。
古文や漢文の授業が好きでのめり込んだティーンエイジャーの頃はそれが顕著であったし、さらに大学では周りにそのトーンで話しても突っかからない人間ばかりであったから学校の外ではより浮いた。

語彙はある。
語彙力は足りていない。

そういうことなのだろう。

しかし複雑な思考回路を持つ質の生き物ではないから、言いたいことは難しくないはずなのだ。
喜怒哀楽は喜怒哀楽として等しく存在しているはずであるのだし。
……どうだろう。存在しているのかな。
哀と怒は鈍いかも分からない。
でもこれは性格の幅に収まると思う。


いつだって好きな相手に好きだと告げるのは思った通りの言葉を選んでいるのになあ。
大好きですが誤解されるとしたらこれ以上どうストレートにしたらいいのでしょうか。

こうやって誰かに読まれる想定をしていない書き散らかしでなら、愛している!愛している!と吐き出せるけれど。
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らうる
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好きなものを好きだと言うことが、ときどきひどくおそろしい。
夜、キャラバンカルーセルからマーメイドラグーンを望むために生まれてきたのかもしれない。

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