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何かになりたかった何かの、ひとりごと
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二度と逃げられない話

隠れるようにぼそぼそと呟いてきた「好き!」を、文字に起こしてみる気になった。とても冗長な、自分だけが読むであろうつらつら。











ファーストインパクト、は、2008年の12月のことだった。
学校が終わったあとに行ったような気がするから
12日か15日か。夜だったのは確か。
そのとき恋するように大好きだったクラスメイトが誘ってくれたものだった。
筋も知らずに「行く!」と言ったわたしは実際作品の内容なんてどうでもよくて、
ただ大好きなその子と学校以外でもふたりでいられるという事実にわくわくしていた。
それが、西遊記花街酔醒だった。
観劇に興味がなかったのだからいわゆる小劇場演劇、というものも初めてで、(わ、近いな)といのが最初の感想だった。
ウエストエンドスタジオ。
正方形に近い舞台と舞台のふたつの辺へ沿う形でL字になった客席。
演劇に(劇団四季とか、あ、宝塚も? 歌舞伎は……ちょっと違う?)なんて超・ざっくり!のイメージしか持っていないわたしには既に驚きだったりして。
で、驚きのまま飲み込まれた。
ダンスのような、無言劇のようなはじまりの辺りからもうわたしは隣にいる女の子のことを忘れていた。
あんなに、この誘いに頷けば何時間かの一緒が約束される!と喜んでいたのにね。
たくさんいる俳優の中に、黒と銀色の髪をした長身のお兄さんがいた。
人間って、自分の肉体に、こんなに意識を向けられるんだ。と、衝撃だった。
演技の上手い下手はわからないわたしが、
でも、目を離せなくなった。
(このひとは、きっと、もう一回見せてくれる)と思った。
舞台の上には情動に突き動かされるような姿を見せてくれるひともいて、
その一瞬だけ強く明滅するような在り方にも心は動いたのだけれど、
痩せて背の高いお兄さんだけは、統制された綺麗な仕草をしているのだと感じた。
そしてそれをとても美しいと思った。
こんなに綺麗なひとがいるんだ、とびっくりした。
ひとはこんなに綺麗になれるんだ、とびっくりした。
手足や声もそれは綺麗だったけれども、そういう生れついた身体がどうというより、
貧相なわたしの語彙からなんとか言葉を充てるなら、
そのひとが「頑張った」ことで美しくいるという事実に打ちのめされたと言ってもいい。
ただ存在することがキラキラするひとびとがいることなら知っていて、
それこそわたしにとって誘ってくれたクラスメイトはそういう質の生きものであったけれど、
お兄さんはそれだけでなく努力により研磨された仕草によりひどく美しくあるひとだった。
努力が報われる実例を見せられてしまった、と、思った。
困った。あらゆる言い訳を封じられてしまったと。すべての泣き言を殺された。
お兄さんがこんなにこんなに綺麗になれるのならば、僕も少しは、ひょっとすると、自分次第で、なにか光に近いものの傍へ寄れることがあるのかもしれない、と嬉しくなった。
傍へ寄れないなら己の努力不足だと恐ろしくなったのも事実だけれど。
クラスメイトが見せてくれた公演案内のハガキには劇団のサイトのURLが載っていて、
それからわたしはお兄さんの名前と、お兄さんが観に行った劇団に所属する俳優ではないことを知る。
ただ演劇という文化と縁遠く、観劇なんて大好きな友達から誘われたのでなければ考えもしないような生活をしていたわたしは、
そのあとお芝居と関わることはほとんど無いまま何年も過ごした。
お兄さんの客演した舞台の写真がアップロードされているサイトは何度も見た。
飾り気のないブログを読んで、
ああやっぱり研ぎ澄まされたひとだなあ、と恐ろしく思うこともあった。
俳優を相手に舞台へも行かず言葉が好きですと言うのはおかしい気がして居た堪れない気持ちになることもあったけれど、
それでも、わたしを打ち拉ぐあの綺麗なお兄さんがここにいる、とブログを読みながら思った。
それからさらに経って。
山梨の大学に通っていた時期を経て東京で就職していたわたしは、お兄さんがまた客演をすることを知る。
2月、明石スタジオ。
今度は、きっと、ひとりでも行ける、と思った。
ひとりだけれど、どうにか、行きたい、と思った。
お兄さんは、綺麗だった。
冬の朝の静電気みたいに綺麗だった。
板バネみたいに綺麗だった。
高校生のわたしが感じた通りに、
そしてそれ以上に綺麗だった。
その年の、つまるところこれを書いている今年なのだけれど、
その11月末にお兄さんのいる劇団の本公演を観た。
(その前の5月にはお兄さんが脚本を書いた二人芝居、7月には本公演へ行ってはいたものの、そのときはただただ圧倒されていたものだから正直なところあまり記憶がない。)
お兄さん、というか、このころには
「あの綺麗だったお兄さん」ではなく
「今も綺麗なとしもりさん」と思っているからもういいか、
藤井としもりさんという俳優である。
ほとんどオフラインでこの「好き!」を口にしたことはないのだけれど、気がつけばこのブログでだけは一度ならず好きで好きで仕方ないのだと書いている。
とにかく綺麗なお兄さんはその名前でお芝居をしていた。

終演後、劇団の語り部(その劇団「おぼんろ」は俳優をそう呼んでいる)である5人の方々が
ロビーで客出しをしていた。
としもりさんのところにもお話ししたいらしきひとびとが列をなしていて、
少し躊躇ったあと、わたしはその横をすり抜けて帰った。
舞台の上でないところでとしもりさんを見るのは、
いよいよ退路を断たれると怯えた。
次の日、月が変わって12月、
わたしはまた劇場にいた。
物語が本当に面白くてもう一度別の角度から観たいと思ったからだ。
泣いて笑ってカーテンコールが終わって、アンケートを書いて、
そうして顔を上げるととしもりさんはファンであろう何人かの参加者とまだ劇場にいた。
舞台美術を近くで見たくて少し居残るつもりではいたけれど、でも、どうしよう、そこに、だけど、いる!と無言でパニックである。
元来わたしは内弁慶なだけの人見知りだ。
いつか、好きですと伝えたいとは思っていた。
昨日、列が怖くて帰ったことを考えると、
昨日よりは人数の少ない今が唯一の機会かもしれない、と感じた。
この物語が、回を重ねるごとに動員を増していくであろうことは確信していたから。
結句、まともに喋ることはできなかったし、
ひどい醜態を晒したと恥じている。
でも、なけなしの勇気でとにかく
「ありがとうございました」だけは言った。
言葉の出ないわたしを、としもりさんは待ってくれた。
その場で十数秒待ってくれたわけなのだけれど、
わたしにしてみれば、
8年待ってもらった心持ちだった。
白状してしまえば、
もう、あんな思い切ったことはできない気がする。
指先が震えて、手のひらが冷たくて、やたらと眩しくて、呼吸が浅くなる感覚が思い出せる。
呼んでもいないのに泣き虫の16歳がしゃくりあげて、
慰めるには24歳のわたしも泣き虫すぎた。
でも、とても、嬉しいのも本当。
あの綺麗だったお兄さん、
この綺麗なとしもりさんに、
ありがとうございましたとありがとうございますを言えて、
いよいよ言い訳のできないわたしは、
頑張るしかないなあと思っている。


これだけ書いてさらなる蛇足。
あとになって思い至ったことなのですけれど、おぼんろの作品に「ハチネンニジイロアゲハ」という架空の蝶が出てくる物語がありました。
幼虫と蛹とで8年を過ごしたのちに羽化する、ひらひら、ひらひら、綺麗な蝶です。
8年て、どこかで聞いたことある気がするな、と思ったら、こんなところでした。
バタバタ必死で、お世辞にも綺麗なものとは言えないけれども、羽化したような気持ちでいます。
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