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何かになりたかった何かの、ひとりごと
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見たいものを見たいように見たい話

想像することが下手だ。
想像力に乏しい、というか、想像力が、無い。
ここがここでなかったら、自分が今の自分でなかったら、という空想はした。もしもの話を考えるのは小さな頃から好きだ。

昔からひとりあそびが好きだった。
イマジネーションの中でわたしはジュラ紀にやってきたタイムトラベラーで、宇宙から雲を観測するSF気象予報士で、機械仕掛けの大怪獣をメンテナンスする技士で、とにかく「想像」はいつかのどこかへ自分を連れて行くものであった。

しかし他人についての想像は別の問題である。
他人の見聞きしたことや感じたことは当人以外に分かりようがないとしか思えない。
状況から推測することはできても、それは「僕がそうであったら恐らくこう思う」をベースにしていて、共感ではなかった。

だから、びっくりした。
はじめて「感情移入」をさせられた舞台は、もう、ここでお芝居の話をしている時点でしつこいくらいに確定的なのだけれど、高校帰りに誘われたあの西遊記だ。


またかよって思う?
わたしは思うよ。


強引と言いたいくらいのパワーだった。
わたしはそのときわたしを離れ、苦しそうに優しく笑う僧を師だと思った。自分が手にする剣が視界の下方で震えていることさえ知覚した。

わたしはL字の客席にいて、わたしの座る側から僧の横顔は見えるはずがなかった。
わたしの視界にいたはずなのは黒と銀で髪を半々に塗り分けた男で、でもその様子見えないのだった。
つまり、彼が見ているものを見た気になっていたのだ。喉の奥がざわざわした。

よくよく精製された声音と仕草は魔法みたいだと思う。


パッとカーテンを開かれたような、眼鏡にレンズが入ったような、そんな感覚を覚えている。
なんだ、こんな風にモノを捉えられるなら、そりゃ辛くないだろうよ、と納得した。
定型発達の人はこれができるのか。特別なシーンでなくても。
凄いな。
僕には思いもよらないことだったよ。
普通の人間って凄いな。



今も他人に共感するのは苦手だ。
現実世界でも架空の世界でも、誰かの感覚について考えるのはなかなか上手くできない。
難しくて、疲れて、自分が嫌になるけれど、それでも諦めることを諦めてしまったのは共感したい物語が尽きないからだ。
とても美しいものを見ているのだろうな、と思わされるひとがいなければ、「あのときのお芝居は偶然が重なって綺麗なものが見られただけで、そもそも自分には客観的な想像しかできないのだ」と努力をやめていた気がする。
第四の壁を認識しながらだってお話が楽しめないわけではないのだし。
トライアンドエラーで日常会話もそれなりにやれるし。


お兄さんがあの夜わたしの前でお芝居をしてくれて、よかったな、と思う。
あの夜わたしの前でお芝居をしてくれたのが、お兄さんでよかったな、と思う。
自分にも普通の人間みたいな感覚でものを見ることが出来うるのだと信じられて嬉しかったし、今も嬉しい。

綺麗だと感じたことを、綺麗だと言うことは
自分のクオリアが他人とそう遠くない自信がなければ苦しい。
ひとりあそびは齟齬がないから安心できた。
でも、今、「わたしはあのひとがとても綺麗だと思うんだ」と声に出せる。





泣きそうだ。
この気分だって、誰かに共有されるのかな。
わたしも誰かと一緒に泣きそうになれたいな。
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らうる
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自己紹介:
好きなものを好きだと言うことが、ときどきひどくおそろしい。
夜、キャラバンカルーセルからマーメイドラグーンを望むために生まれてきたのかもしれない。

ねじがたりない
言語121 動作82 全体106 

せんせいになりたかった

たいおんがほしい

はせをにこいしてる