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何かになりたかった何かの、ひとりごと
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知っている言葉が多いことを語彙力があると言う向きに納得できません。 きみの伝えたい内容が分かるよ、と正しく思われてはじめて語彙力と認められるべきなのではなかろうかと考えるから。 なぜか嫌みたらしい皮肉屋だと誤解されてばかりだ。 賞賛や憧憬、感謝を当てこすりに思われることが多々あるわたしは語彙力に乏しいと言えるはずだ。 好きなものを好きだということへの躊躇いは、自己評価の低さに起因する「このクズが好きなんだからそれもカスなんだろ」を恐れるだけでなく「ひどく慇懃無礼に批難されているな」と取られたら辛いからでもある。 父母の友人を友人として育ったわたしの言葉選びは同年代には古臭かったのか、難しいこと喋ってて分かんない!と言われたことは一度や二度ではない。 古文や漢文の授業が好きでのめり込んだティーンエイジャーの頃はそれが顕著であったし、さらに大学では周りにそのトーンで話しても突っかからない人間ばかりであったから学校の外ではより浮いた。 語彙はある。 語彙力は足りていない。 そういうことなのだろう。 しかし複雑な思考回路を持つ質の生き物ではないから、言いたいことは難しくないはずなのだ。 喜怒哀楽は喜怒哀楽として等しく存在しているはずであるのだし。 ……どうだろう。存在しているのかな。 哀と怒は鈍いかも分からない。 でもこれは性格の幅に収まると思う。 いつだって好きな相手に好きだと告げるのは思った通りの言葉を選んでいるのになあ。 大好きですが誤解されるとしたらこれ以上どうストレートにしたらいいのでしょうか。 こうやって誰かに読まれる想定をしていない書き散らかしでなら、愛している!愛している!と吐き出せるけれど。 PR 想像することが下手だ。
想像力に乏しい、というか、想像力が、無い。 ここがここでなかったら、自分が今の自分でなかったら、という空想はした。もしもの話を考えるのは小さな頃から好きだ。 昔からひとりあそびが好きだった。 イマジネーションの中でわたしはジュラ紀にやってきたタイムトラベラーで、宇宙から雲を観測するSF気象予報士で、機械仕掛けの大怪獣をメンテナンスする技士で、とにかく「想像」はいつかのどこかへ自分を連れて行くものであった。 しかし他人についての想像は別の問題である。 他人の見聞きしたことや感じたことは当人以外に分かりようがないとしか思えない。 状況から推測することはできても、それは「僕がそうであったら恐らくこう思う」をベースにしていて、共感ではなかった。 だから、びっくりした。 はじめて「感情移入」をさせられた舞台は、もう、ここでお芝居の話をしている時点でしつこいくらいに確定的なのだけれど、高校帰りに誘われたあの西遊記だ。 またかよって思う? わたしは思うよ。 強引と言いたいくらいのパワーだった。 わたしはそのときわたしを離れ、苦しそうに優しく笑う僧を師だと思った。自分が手にする剣が視界の下方で震えていることさえ知覚した。 わたしはL字の客席にいて、わたしの座る側から僧の横顔は見えるはずがなかった。 わたしの視界にいたはずなのは黒と銀で髪を半々に塗り分けた男で、でもその様子見えないのだった。 つまり、彼が見ているものを見た気になっていたのだ。喉の奥がざわざわした。 よくよく精製された声音と仕草は魔法みたいだと思う。 パッとカーテンを開かれたような、眼鏡にレンズが入ったような、そんな感覚を覚えている。 なんだ、こんな風にモノを捉えられるなら、そりゃ辛くないだろうよ、と納得した。 定型発達の人はこれができるのか。特別なシーンでなくても。 凄いな。 僕には思いもよらないことだったよ。 普通の人間って凄いな。 今も他人に共感するのは苦手だ。 現実世界でも架空の世界でも、誰かの感覚について考えるのはなかなか上手くできない。 難しくて、疲れて、自分が嫌になるけれど、それでも諦めることを諦めてしまったのは共感したい物語が尽きないからだ。 とても美しいものを見ているのだろうな、と思わされるひとがいなければ、「あのときのお芝居は偶然が重なって綺麗なものが見られただけで、そもそも自分には客観的な想像しかできないのだ」と努力をやめていた気がする。 第四の壁を認識しながらだってお話が楽しめないわけではないのだし。 トライアンドエラーで日常会話もそれなりにやれるし。 お兄さんがあの夜わたしの前でお芝居をしてくれて、よかったな、と思う。 あの夜わたしの前でお芝居をしてくれたのが、お兄さんでよかったな、と思う。 自分にも普通の人間みたいな感覚でものを見ることが出来うるのだと信じられて嬉しかったし、今も嬉しい。 綺麗だと感じたことを、綺麗だと言うことは 自分のクオリアが他人とそう遠くない自信がなければ苦しい。 ひとりあそびは齟齬がないから安心できた。 でも、今、「わたしはあのひとがとても綺麗だと思うんだ」と声に出せる。 泣きそうだ。 この気分だって、誰かに共有されるのかな。 わたしも誰かと一緒に泣きそうになれたいな。 正直なところ、今までで最低の大晦日だ。
仕事は忙しくしていたけれど、こんなに私生活に手が回らなくなるほど磨り減っているつもりはなかった。 完全に機能停止して29、30、31の夕方までは無為に過ごしたし、生命維持のためにいくらか動いただけでまたひたすら途方に暮れている。 コインランドリーの乾燥機を回したあと取り行かず20分ほど遅れて向かうと、見知らぬ誰かによって洗濯物はかるく畳まれて籠に避けられていた。 時間が足りず生乾きのままだったそれらを取り除けてくれた誰かの姿は既に無く、謝罪も礼もできないままわたしは衣類をアパートで干し直す。 ここ半月ほどで急激に悪化した皮膚炎を宥める処方薬は底をついていて、代わりにするには些か弱すぎる(「ストロング」というのはドラッグストアで買える中では最も強いそうだが、皮膚科で「ベリーストロング」や「ストロンゲスト」の世話になっている身からすれば弱いものである)市販のステロイド剤でお茶を濁している。 大学時代コンサータなしでいた頃も相当に破綻してはいたけれど、それはクリニック通いをサボるようになってから明確に生活が崩れていた。 ただ、社会人生活をはじめてしばらくはもう少しまともに生きていたのだ。 たかだか数週間ほど仕事が詰まったからといって、こうも立ち行かなくなるとは思わなかった。 寝ている間に掻き壊した皮膚からの出血で寝具は血まみれだし、剥落した皮膚やかさぶたのために一晩でザラザラと粉っぽくなる。 自分であっても不快なのだから、他人によるものならどんなに気色悪いことだろうと思う。 毎夜このまま目が覚めなければ良いと思いながら眠り、毎朝誰も罪に問われないような不慮の事故でわたしだけが死ねたらと思いながら通勤する。 翌日その作業を続けるのが自分だろうと思ってもメモや付箋で精一杯の引き継ぎを残して仕事を終えるのは、うまいこと消えられたとして後任が少しでもスムーズにわたしの穴を埋められればと思うからだ。わたしのできる仕事などただ人手があれば足りるだけのようなものばかりだけれども。 かなり底近くまで自己嫌悪があるから、いつも以上に好きなものの話が出ない。 わたしに好かれているというそのことがマイナスでしかない自信ならとても強いものがある。 好きなものごとだけを投稿するつもりでツイッターのアカウントを取得したのだが、なかなかツイートができずにいる。 ただ、そこのわたしが「わたし」であることを告げたのは(不注意で教えてしまった相手を含めるとプラス一人、そして隠していることではないのでもしかするともっと知っている人間はいるのかもしれないとは言え、相互に認知しているのは)ただ一人なので、まだ気が楽な方だ。 それですらこの有様、と言いなおすこともできるけれども。 自転車のタイヤが酷く凹んでいた。単なる空気漏れかパンクなのかは知らない。 どちらにせよ自転車で実家へ向かうつもりでいたものだから予定を変更するしかない。 通勤定期は一昨日から切れていて、電子マネーのチャージも心許ない。 そういえば今月の家賃も振り込んでいない。ガス代と水道代も。 薄給、と言っても下には下がいることを分かってはいるが、保障らしい保障もない非正規雇用の身には年末が寒い。 山梨の大学にいた頃、実家に帰るため中央線から京王線に乗り換えると「東京に帰ってきた」と安心したものだが、同じ東京に住んでいる今も私鉄を乗り継いで京王線に至ると「帰ってきた」という感じがする。 最初の小学校に通っていた頃までは小田急線沿線に住んでいたし、その次の家も小田急線を使っていた。 それでも3つめの家に越して以来中学高校と京王線のそばで暮らしてきたわたしにはピンクのラインが懐かしいものとして印象づけられているのだった。 ああ、ブログとして読みやすい文章を書く努力を完全に放棄しているな。 誰に向けてもいないし、いいか。 来年はもう少し、屈託無く笑える大人になれたらいいな。 隠れるようにぼそぼそと呟いてきた「好き!」を、文字に起こしてみる気になった。とても冗長な、自分だけが読むであろうつらつら。 ファーストインパクト、は、2008年の12月のことだった。 学校が終わったあとに行ったような気がするから 12日か15日か。夜だったのは確か。 そのとき恋するように大好きだったクラスメイトが誘ってくれたものだった。 筋も知らずに「行く!」と言ったわたしは実際作品の内容なんてどうでもよくて、 ただ大好きなその子と学校以外でもふたりでいられるという事実にわくわくしていた。 それが、西遊記花街酔醒だった。 観劇に興味がなかったのだからいわゆる小劇場演劇、というものも初めてで、(わ、近いな)といのが最初の感想だった。 ウエストエンドスタジオ。 正方形に近い舞台と舞台のふたつの辺へ沿う形でL字になった客席。 演劇に(劇団四季とか、あ、宝塚も? 歌舞伎は……ちょっと違う?)なんて超・ざっくり!のイメージしか持っていないわたしには既に驚きだったりして。 で、驚きのまま飲み込まれた。 ダンスのような、無言劇のようなはじまりの辺りからもうわたしは隣にいる女の子のことを忘れていた。 あんなに、この誘いに頷けば何時間かの一緒が約束される!と喜んでいたのにね。 たくさんいる俳優の中に、黒と銀色の髪をした長身のお兄さんがいた。 人間って、自分の肉体に、こんなに意識を向けられるんだ。と、衝撃だった。 演技の上手い下手はわからないわたしが、 でも、目を離せなくなった。 (このひとは、きっと、もう一回見せてくれる)と思った。 舞台の上には情動に突き動かされるような姿を見せてくれるひともいて、 その一瞬だけ強く明滅するような在り方にも心は動いたのだけれど、 痩せて背の高いお兄さんだけは、統制された綺麗な仕草をしているのだと感じた。 そしてそれをとても美しいと思った。 こんなに綺麗なひとがいるんだ、とびっくりした。 ひとはこんなに綺麗になれるんだ、とびっくりした。 手足や声もそれは綺麗だったけれども、そういう生れついた身体がどうというより、 貧相なわたしの語彙からなんとか言葉を充てるなら、 そのひとが「頑張った」ことで美しくいるという事実に打ちのめされたと言ってもいい。 ただ存在することがキラキラするひとびとがいることなら知っていて、 それこそわたしにとって誘ってくれたクラスメイトはそういう質の生きものであったけれど、 お兄さんはそれだけでなく努力により研磨された仕草によりひどく美しくあるひとだった。 努力が報われる実例を見せられてしまった、と、思った。 困った。あらゆる言い訳を封じられてしまったと。すべての泣き言を殺された。 お兄さんがこんなにこんなに綺麗になれるのならば、僕も少しは、ひょっとすると、自分次第で、なにか光に近いものの傍へ寄れることがあるのかもしれない、と嬉しくなった。 傍へ寄れないなら己の努力不足だと恐ろしくなったのも事実だけれど。 クラスメイトが見せてくれた公演案内のハガキには劇団のサイトのURLが載っていて、 それからわたしはお兄さんの名前と、お兄さんが観に行った劇団に所属する俳優ではないことを知る。 ただ演劇という文化と縁遠く、観劇なんて大好きな友達から誘われたのでなければ考えもしないような生活をしていたわたしは、 そのあとお芝居と関わることはほとんど無いまま何年も過ごした。 お兄さんの客演した舞台の写真がアップロードされているサイトは何度も見た。 飾り気のないブログを読んで、 ああやっぱり研ぎ澄まされたひとだなあ、と恐ろしく思うこともあった。 俳優を相手に舞台へも行かず言葉が好きですと言うのはおかしい気がして居た堪れない気持ちになることもあったけれど、 それでも、わたしを打ち拉ぐあの綺麗なお兄さんがここにいる、とブログを読みながら思った。 それからさらに経って。 山梨の大学に通っていた時期を経て東京で就職していたわたしは、お兄さんがまた客演をすることを知る。 2月、明石スタジオ。 今度は、きっと、ひとりでも行ける、と思った。 ひとりだけれど、どうにか、行きたい、と思った。 お兄さんは、綺麗だった。 冬の朝の静電気みたいに綺麗だった。 板バネみたいに綺麗だった。 高校生のわたしが感じた通りに、 そしてそれ以上に綺麗だった。 その年の、つまるところこれを書いている今年なのだけれど、 その11月末にお兄さんのいる劇団の本公演を観た。 (その前の5月にはお兄さんが脚本を書いた二人芝居、7月には本公演へ行ってはいたものの、そのときはただただ圧倒されていたものだから正直なところあまり記憶がない。) お兄さん、というか、このころには 「あの綺麗だったお兄さん」ではなく 「今も綺麗なとしもりさん」と思っているからもういいか、 藤井としもりさんという俳優である。 ほとんどオフラインでこの「好き!」を口にしたことはないのだけれど、気がつけばこのブログでだけは一度ならず好きで好きで仕方ないのだと書いている。 とにかく綺麗なお兄さんはその名前でお芝居をしていた。 終演後、劇団の語り部(その劇団「おぼんろ」は俳優をそう呼んでいる)である5人の方々が ロビーで客出しをしていた。 としもりさんのところにもお話ししたいらしきひとびとが列をなしていて、 少し躊躇ったあと、わたしはその横をすり抜けて帰った。 舞台の上でないところでとしもりさんを見るのは、 いよいよ退路を断たれると怯えた。 次の日、月が変わって12月、 わたしはまた劇場にいた。 物語が本当に面白くてもう一度別の角度から観たいと思ったからだ。 泣いて笑ってカーテンコールが終わって、アンケートを書いて、 そうして顔を上げるととしもりさんはファンであろう何人かの参加者とまだ劇場にいた。 舞台美術を近くで見たくて少し居残るつもりではいたけれど、でも、どうしよう、そこに、だけど、いる!と無言でパニックである。 元来わたしは内弁慶なだけの人見知りだ。 いつか、好きですと伝えたいとは思っていた。 昨日、列が怖くて帰ったことを考えると、 昨日よりは人数の少ない今が唯一の機会かもしれない、と感じた。 この物語が、回を重ねるごとに動員を増していくであろうことは確信していたから。 結句、まともに喋ることはできなかったし、 ひどい醜態を晒したと恥じている。 でも、なけなしの勇気でとにかく 「ありがとうございました」だけは言った。 言葉の出ないわたしを、としもりさんは待ってくれた。 その場で十数秒待ってくれたわけなのだけれど、 わたしにしてみれば、 8年待ってもらった心持ちだった。 白状してしまえば、 もう、あんな思い切ったことはできない気がする。 指先が震えて、手のひらが冷たくて、やたらと眩しくて、呼吸が浅くなる感覚が思い出せる。呼んでもいないのに泣き虫の16歳がしゃくりあげて、 慰めるには24歳のわたしも泣き虫すぎた。 でも、とても、嬉しいのも本当。 あの綺麗だったお兄さん、 この綺麗なとしもりさんに、 ありがとうございましたとありがとうございますを言えて、 いよいよ言い訳のできないわたしは、 頑張るしかないなあと思っている。 どういうわけか、小学校に上がるくらいから漠然と「25歳のうちに死ぬ」って思って生きてきた。
だからということでもないけれど、それまで好きにやってやろうとも。 ロックスターでないから27クラブに交ざりようもないし、別に交ざりたいとも思わない。 「死にたい」じゃないんだ それはもうずっと前倒して思ったし、「死ななきゃ」もそう 意思ではなく、知識みたいな感覚でそう考えている。 「織田信長が本能寺で討たれる」とか、なんか、そんな感じ。 「25で死ぬ」 靴を縫う小人がいなくなるのかな。 僕が上の空でいる間に、僕の針と糸でもって問題を縫い上げてくれている誰かがいること、僕は察している。 人間のフリして生活をしている。 RADWIMPSの「へっくしゅん」を聴きながらこれを書いている。
僕が泣けば泣くほど誰か 笑えるんだと分かっていた だけど僕も 一応いつも 毎日人間なんだ ああ、いいなぁ、って思ったんだ。 「一応いつも 毎日人間なんだ」って考えながら生活してみたい。 コンサータ高いよ。ヒトのフリするのにいくらかけたらいいの。 不良品なのは分かってるけど、だったらそっちで処分してよ。 とか、我儘かな。 そうだよなあ。 ヒトが処理するとして、それを担当するのは僕の近くにいるヒトなのだろうし、現行の法律じゃ頼まれた行為でも犯罪だ。 だれのせいでもない理由で、なるだけ片付けの簡単な形で、死んじゃいたいなあ。 大好きなギター弾きのまだ歌われていない曲と、大好きな論文書きのまだ刷られていない文と、大好きな俳優のまだ演じられていない芝居 を、一生懸命に夢想している。 死にたくないのが普通らしいし、死にたくないって思いたいなあ。 コンセントにさすタイプのタイマースイッチと、グリセリンと、10円玉を見ている。 聞いた話では感電死の死体は比較的綺麗だそうで。 死にたくないって思えるかなあ。 姫草ユリ子を尊敬し、ドロレス・ヘイズを愛おしみ、ホリー・ゴライトリーに憧れた。
アナベル・リーは海のほとりで寂しく死んだ彼女より海のほとりで性行為に至れなかった彼女を連想するぼくの、そういう生活の、それでも毎日やり過ごすぼくの、プルバックでも電池でもない自動巻きで動いているのは、 この世に好きなものがあるからだと信じている。 好きなものを好きだと言うことはときどき(いや、しばしば)(あるいはほとんど!)おそろしくて ぶっちゃけ めっちゃしんどい のに、表出させずにいられないのはどういう訳だろう。 『あなたは、とても、とても、愛されているひとなのです』と伝えたい。もしもそれがそのひとの喜びであるならば。 同時に、愛しているのは僕だと伝わってしまうのが怖くて仕方ない。 誰か軽やかに愛していると言ってくれ。 僕ではない誰か。 死にたくなるようなことって わりとよくあるけど
死ぬことって そんなに無い気がします。 甘えたで見栄っ張りで卑屈で嘘つきで被害妄想癖の激しい阿呆ですが とても迷惑なことをしないために 少し迷惑なことをして 立つ鳥跡を濁していこうかなと思います。 演劇に造詣は深くない
けれど 何年も前の、確か2008年の冬だから6年近くも昔になるのか、黄色い帽子を被った小学生の算数が数学になるほど時間が経っていたことに驚く、一度だけの興行が突き刺さって抜けない 実はストーリーをほとんど忘れていて、台詞だってひとくだりふたくだりしか覚えていない ただ、短髪の右側を銀色にした魚のおばけ、あの演劇では河童だったかもしれない、確かフライヤーではサル・ブタ・カッパと書いてあったから、とにかく彼に手足があることを喜んだのは確か 泣きそうだったし、事実泣いた 演劇自体の出来がどうだったかは知らない 分からないし、興味も、そこまで強くは、ない 何度か企てた行動をためらうときの理由に、ほぼ漏れ無く彼が登場する なんということだ 沙悟浄が好きなんだか藤井としもりが好きなんだか分かりゃしない 馬鹿だからね、僕は おそらくどちらも好きなのだろうが、人ひとり好くのが怖いので、照明の下の魚が好きなのだということにしておこう 四回カチカチやらないと火の付かないライターで、衝動買いしたタバコを吸っている 紫色で蝶の模様の箱がきれい、と思うと同時に、コンドームみたいだ、と思った 図書館では禁煙だから、教授のケントに紛れてひっそり喫煙読書できた去年までの研究室が恋しくなった そういうふうにそうやって堕落しているあいだ、また彼を観たくなっていることを自覚する 続けて何本も、今残りを数えたら9本だったから逆算すると11本か、続けて毒を摂っているとかなしくなった気になれる 彼は演劇のひとだから、喉を痛める趣味はないだろうか 舌がぴりぴりしている メンソールは苦手だ 黄色いアメリカンスピリットか赤いチェが好き 黄色いアメリカンスピリットを吸う僕の大好きなひとはギターをひくけれど、そういえば僕には時々とても難解なあのブログにも10年来の親友と呼ばれたギターの写真が載っていた 10年来というと僕の算数はまだ算数だ 僕も「完全に分解し、メンテナンスし、パーツを交換した」ら少しは美しくなるでしょうか パーツを交換 右前頭前皮質と大脳基底核尾状核と大脳基底核淡蒼球と小脳虫部の交換で僕はいくらか真人間のような何かになるのだろうか ……それは僕なのか 泣きそうだ、泣かないけれども 桔梗紋のシールを貼った携帯灰皿はとっくにキャパシティオーバーだ 一生に何度かは必死に頑張ってみたい マイナス思考すらまともに出来ない僕は、それでも、苦しいのが嫌いだ 免じて欲しいわけではないときに謝罪するには、ごめんなさいでなく何と言おう 許さないでくださいでは傲慢に思える 二律背反っつうか、ただの矛盾ですねぇ 駄々っ子なのだ 泣かないけれども、泣きたくなる l様と書かれた 様づけされるような生き物ではないのに、と丁寧な物腰に恐縮したり、同時に、様の有無は僕が選ぶことではなかろうに、と恐縮したり、僕は面倒臭い かなしい | プロフィール
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らうる
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自己紹介:
好きなものを好きだと言うことが、ときどきひどくおそろしい。
夜、キャラバンカルーセルからマーメイドラグーンを望むために生まれてきたのかもしれない。 ねじがたりない 言語121 動作82 全体106 せんせいになりたかった たいおんがほしい はせをにこいしてる リンク
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